武雄流鏑馬執行日程

                   毎年10月23日
                      (上り馬)   午前11時 〜 正午 (八並区〜武雄神社)
                      (神 事)   正午 〜 午後1時  (武雄神社)
                      (流鏑馬)   午後1時30分 〜 午後3時 (流鏑馬馬場)
                      (下り馬)   午後3時30分 〜 午後4時30分 (武雄神社⇒八並区)



 文治元年(1185年) 源氏と平家は壇ノ浦で最後の決戦をしました。
最初は、強力な平家の水軍に源氏が苦戦を強いられていましたが、どこからともなく白鷺が飛んできて源氏を励ましました。白鷺は武雄神社の使いとされていました。
 平家を滅ぼした源頼朝は、その神徳に感じ、翌文治2年3月付けで「御教書」を武雄神社に奉じ、お礼の使者を送りました。頼朝は御教書(礼状)だけでなく、9月には後鳥羽上皇の勅使と名代の御家人を武雄に赴かせました。
 勅使は八並村(現在の八並区)の坂本家を宿舎とし、旧暦の9月23日(現在の10月23日)身を清めて武雄神社に参詣しました。神事の後流鏑馬が奉納されましたが、その時以来、この日が武雄の秋祭り、武雄供日(くんち)となったのです。流鏑馬は八並区が宰領し、神興奉御を下西山区、馬場は武雄区が担当し、保存会を設け市民あげて伝承に努めています。
 現在、武雄神社の217通もの古文書の中には、文治2年(1186年)頼朝の御教書や天歴5年(951年)四至実検状等があり、国指定重要文化財に指定されている古文書が現存し、歴史の深さを知ることができます。

 

 

勅使・流鏑馬行列
<上り馬> 行列は八並村(現在の八並区)を出発し、柄崎を通り、武雄神社に向かいます。 一の鳥居をくぐり、参道に入ると、一斉に気勢を上げながら走って社殿に向かいます。
(ちなみに勅使役はコリアンサイト代表がつとめています)

     

<武者姿> 勅使及びその随行である鎌倉、武将そして射手の一行は「心字の池」で身を清め、勅使が祭詞を奏上し、射手は御神酒拝戴の後、神馬に騎乗し神社の周りを回る堂廻りの儀を行います。(写真は「心字の池」に向かう武将たち)
<流鏑馬奉納> 神事が終り、いよいよ祭りのハイライトである流鏑馬奉納が行われます。


武雄の流鏑馬は鎌倉以前の古式を伝承しており、全国でも数少ない貴重なものです。矢には雁股(かりまた)の矢じりを、的板は合歓の木を鉈で割って用います。
    

(射手は福岡県嘉穂郡庄内町から日本各地だけでなく海外までも活躍されている 鎮西小笠原流 武徳会 源 長統 師範 です。また本年から杵島郡白石町の乗馬クラブ「バルバロ」から射手2名の参加を得て盛大に執り行われます。)・・・・武雄では昔からの武雄の流儀に沿って執行していただいております。

<下り馬> 流鏑馬奉射のあと勅使と射手の一行は、当り的を担い八並村(区)に戻ります。
 昔は、温泉通りで勇壮な責め馬を行い、死傷者も出るほどの騒ぎでしたが、今日では当時の衣装をまとった華麗な行列が見物人の目を楽しませています。


祭 詞

馬具について


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