祭 詞 

祭詞は当日神事の際に勅使がご神前で読み上げるもので下記のように書かれている。

        祭詞
謹み畏みて 八百十七年の往時を偲び
祭詞を奏上し奉る    寿永二年
源氏に追われた平氏は西国に走り
再起を図らんとす   源 頼朝
勅命を奉じ   弟 範頼 義経を
して これを討たしむ 二回に亘りて
霊感あり  文治元年 春 三月
壇ノ浦の戦にて 平氏を破り
天下を平定し 大御心を安んじ奉る
 翌 文治二年三月十日
頼朝は御教書を武雄社に贈り
深甚の謝意を表す  同年九月
頼朝の名代  武将 天野遠景
勅使左大臣 藤原基氏を奉じ
武雄社に詣で 報賽の儀を行う
爾来星霜八百十七年 当時を記念して
報賽の儀を怠ることなし
 本日 武雄神社 秋祭報賽の
御儀に際し 御心霊のお加護に
深甚の謝意を表すると共に
八百十七年の往時を偲び
謹んで祭詞を奏上し奉る
 平成十五年十月二十三日
  勅使代行
       (本年の勅使役名) 
               敬白



平安時代の末に平氏は滅亡したが平氏討伐に当たって武雄神社では源氏の勝利を祈って、平氏討伐の祈願を行ったことが鎌倉幕府に伝えられ、源頼朝の「御教書」を持った幕府の使者 天野遠景と勅使 藤原基氏が御礼参拝をした。
その時、武雄領主 鍋島(後藤)宗明は歓迎の流鏑馬を行った。それ以降、武雄神社の供日には流鏑馬が奉納されると伝えられている。
 流鏑馬、笠懸、犬追物は鎌倉時代からはじまった武士の武芸であったのである。
源頼朝の袖判のある「関東御教書」は現存しており、佐賀県下ではただ一通で次のように書かれている。




    大宰府雑掌惟氏申

          号社
    肥前国武雄社  神官等所
          府給

    右今度平氏追討御祈祷之由、神妙之旨被召聞畢、追御計有之由、依鎌倉殿仰
   
    執達如件、文治二年三月十日 盛時奉  

  



                             (ふるさとの歴史散歩・武雄編より)

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